ノスタルジー

 生活が表面上だが、安定してくると、自分を振返らなくなる。そんな感覚を覚える。この安定感は、まったく根拠の無いものだが、やはり、そういうものだ。
 ワタシが、東京圏内に住みだしたのは、学生運動が下火になったころで、ディズニーランドもまだ、建設中だった。ワタシには、『チカラ』はないが、戦争に負けた国、ニッポンの、最後の敗戦国処理の段階が、今の日本であると、確信する。『国』という、単位もあやしくなってきているのだが、現実には、この単位が、生ものである人間をコントロールしている。そう考える。
 20年以上も、前の話であり、当時の日記にそう書いてあるし、今もそう思っている。やはり、ワタシも日本人なのだろう。ワタシが住んでいたのは、荻窪に、習志野千歳烏山、そして、本八幡に、幕張と、かなり、転々としていた。よく行ったのが新宿で、ポニーや、PitInnだった。ようするに、Jazzに憧れていたということなんだなと、ふり返る。もうなくなってしまったが、パノニカや響という、ワタシにとってかけがえのない場所も、時間という価値観に翻弄され、今はない。パノニカは鹿児島だが、かろうじて地理的な要素はあまり、重要とは考えていないようだ。そうなのだ。
 なぜ、Jazzなのだろう。内面では、どうでもいいのだが、表現しようとすると、こだわってしまう。それは、ワタシの経験というより、Jazzに糧を見出そうと人生という時間を費やした友達が多かったということなのかもしれない。今の『音』と関係のない友人たちと会話するとき、ワタシは一歩も妥協もしないし、この昔の友人たちを誇らしげに感じている。

 ノスタルジーなのだな。