『日記』

 『日記』は、日本で教育を受けた人は、ほぼ全員、好感を持っている。一度は、そこに、すばらしい自分自身の姿をダブらせ、記録をしたことがあると思います。ワタシもその一人で、なんと、小学校6年生からの記録が残っていました。ワタシには、『宝』ではないが、貴重な記録です。
 ここ10年くらいの間に、その『日記』を、公開するということに価値を見出し、これまた、自分自身の心地良い空間を造ろうという考え方に、多くの人が、納得し実践しているのではないだろうか。

 そんな問題意識にも似た感覚を認識できたのも、『日記』を読み返したカラカモシレナイ。