大型連休
休まずに、会社に行くいう選択はしなかった。正月よりも長い期間、自己選択できる時間を造ったことになる。『自由』を手に入れたということになる。26日昨日からの現実である。
26日は、すきな『音』に自由を使った。実際、時間的には、会社に行くよりも、ハードになったのだが、気分はすっきりとし、眠りに着いた。これが、自由な休暇だと感じた。望んだのか計画したのかは意識していなかったのだが、本当の自由な時間というのは、やはり魅力的なものである。
あまり体を、酷使しないよう連休を、満喫しようと決意を新たにする。
s
St
P ⇒ ナンド繰り返したぁ コトカァ
ふり返りも、あとは、心理学者でも、依頼しないと、ふり返れない状態になった。時間のなせるワザである。なにが、得られたのか?それは、今の時点の自分を再認識したのでなく、再認識する方法を模索する意識の中で、客観的な見方のあらたな価値観を認識したというになる。ようするに、『個』としての認識を強めようと、求め、そして、認識を強めたということになる。
なぜ、はてなさんのサイトなので、なぜ、と、問いただしてみる。客観的な状況が、自分を維持できない状況になり、今ふりかえれば、本能として、存在し続けたいと、無意識のうちに、ふり返りという作業をはじめたと認識できる。生存したいからだということである。
0405-2008 h20
sonnna モンダ・・・
sonnna モンダ・・・
ga-dena- zouenn
ようやく戦後かぁ・・・
何度繰り返されたことだろう。
そう感じるのには、ワケがある。
繰り返しやってくるboomを感じることができるようになったからである。
年を重ねたということかぁ・・・
まぁ、そんなに感覚はニブっては、ないと、かんがえているのだが・・・