いじめ

 どうにか、休日へとつないだ。とあれ、やはり気になるのは、いじめ自殺の成り行きである。なにに興味を示しているのか、思考に走る。自分と重ね合わせている。いや、それは少しはあるが、まるで、見当違いだ。結論は、『いじめ』という曖昧な単語と、『自殺』という刺激的な単語の性だと確信する。

 『いじめ』は決して、造語ではないだろうが、極めて曖昧な概念であり、セクハラより、やっかいかも知れない。もうすこし、思考を重ねると、教育委員会や教師のこの『いじめ』の使い方に、反感をもっていることが、明確になる。結局、ワタシの興味の対象は、教育システムとそこにいる人たちへの反感なのであった。

 とあれ、自ら『死』をえらぶという行為は、体感的に馬鹿な行為であるという訓練をどこかで、しなければならない。今の教育、義務教育に限られるかもしれないが、混乱するので、あえて、訓練という表現をしたい。取り返しはつかないが、『自殺』という行為は、本人以外にも影響が強すぎるのである。