いじめ自殺報道の余韻

 戦後からのシステムのおかげで、今がある。システムを人間にたとえると、祖父や祖母という認識のほうがいいのかもしれない。教育委員会の存在は、すでに役割を終えた存在なのではないか。むしろ権限は、現役のシステムに渡さなければならない。もし、それが無理ならば、教育委員会自体が、変らなくてはならない。
 弊害は、現場を知らない少人数の行政職員が権限を握っていることであり、問題は山積だと感じている。ひとつに、間に合わない予算執行は、責任のある行政職員の違法性すら問いたださなければならない。

 この弊害のおかげで、死ななくてもいい児童が自殺したと考えざる終えない。ほんとうに取り返しがつかないことに対して、責任を追及しても、そのこと自体はどうしようもないのだが、再発は防げる。