なぜか、ちと真剣に

 『いじめ』で自殺、このNewsは、まだまだ大きく波紋を呼ぶだろう。未成年ではないが、ワタシの友人もここ10年で2人が自殺をしている。一人は、親しい友人だったので、いまだに、強い影響を感じている。理由は、経済的なこととなっているが、実は、違うことを私は知っている。それほど、親密な関係だったのである。ワタシ以外にはおそらく誰も知らないだろう。遺書にもそのことは触れられていない。ワタシもそのことは、言うことはない。いま報道されている中学生の、本当の理由も、誰にも分からないだろうと感じる。
 年間に3万を越える人が、自殺している。小中学生では、100人単位ということだ。自ら命を絶つということは、認めてはならないと考える。宗教ではなく、実践できる理論を用意しなくてはならないと強く感じる。

 別の視点で、『教育』『学校』には、危機感ではなく社会的インフラの時代対応の遅れを指摘したい。先生も生身の人間であり、あらゆる業種が時代の波を受けている中で、特別な世界ではないという認識を強めなければならないだろう。ワタシが義務教育時代の先生は、崩れかけてはいたが、聖職であり、特別な存在だった。いまでも、おおくの児童、学生はそう感じていることを期待しているのだが、かなりの割合でそうではないのだと、考えずにはいられない。行政にかかわる人たちと同じで、特権階級だという、精神的なバックボーンが、見え隠れし、よけいに、反発する気持ちが湧いてくるのだろう。

 学校の先生や行政に関わる人たちは、時代に恨まれる存在になっていくのかと、同情にも似た感覚も感じるが、やはり、特権階級的な扱いをうけているという実感が、嫌悪感のほうを優先させている。