クリスマス

 いつ頃から、クリスマスを意識し始めたのか。写真の整理に、時間を奪われ、あれこれと思考ではなく、思いに耽る。ふと気付くと、日付が変っている。知らない間に朝だ。また、なにかに取り付かれようとしているのかと、奪われた時間を検証しようとする。時間をダイアログで認識しようとすると、小説がうまれ、経済が生まれる。二次元の空間で意識しようとすると、フローが生まれる。感覚的な理解だが、ワタシの中では、納得のいく解釈。クリスマスのことは、何も知らないと、フト湧き上がってくるものが認識できる。子供のころの子ども会が最初のクリスマスだった、ケーキにツリーそれにプレゼントとなにか、違った文化だとの体感が残っている。『日本』という意識はこのころすでに薄れ始めていた。そう感じる。それからのクリスマスはどうにかして、女性を口説こうとするいいきっかけに過ぎなかったような気もする。20才くらいのときにそれが変化する、一年という単位の区切りに使い始めたと記憶している。生活的には、余財を消化することを、無意識に計画し、年末に消費し、享受する。年末と年度末という仕組みを妙な感覚で意識したら、次は、クリスマスを妙な感覚で意識してしまったということになる。時間は、なにかを認識するためのものと考えようとしている。なぜ、そのような思考に走るのかは、明確で、変ろうとし、また創造したいという欲求がその源だと実感する。