『ながら』の + -

 整理に使っている日記という、機能。感覚的に、助かっている。なぜ、性癖かもしれないが、『ながら』がワタシの行動パターンであり、そのことによるアルゴリズムは不確定なもので、また、その反面、自由度も高い。いうなれば、『イイカゲン』と言えるかも知れない。その整理にこの空間を使わせていただいてるということなのだろう。

 ただ、時間は結果を確定させつつ、体感を無視し積み重ねていく、すべて、ワタシの感覚の範囲なのだが、生身のワタシはその感覚を受け入れるというこれもまた、思考の入り込めない体感を迫られる。ほんのイッシッンですら、思考のために『意味』を持つことになるのかも知れない。

 まぁ、そんな感覚でNetを使っていければいいのだろう。