時間の流れ

 時間の流れは、いつも刺激的だと感じる。一秒まえでも、今とは違うということを認識するのに、特別な儀式はいらない。

 ある宗教家というか新興宗教というか、とにかく、その臭いのする人が、突然に、現れ、話し込み始めた。ワタシが、店舗の片付けを、しているときである。営業していますかと現れた。いえ、閉店してその片付けをしていますので、営業はしていませんと答えると、すこし見ても良いですかと言い、物色するでもなく、ワタシが片付ける行動をじっと見ている。すこしわずらわしく感じ、なにか御用ですかと、話しかけると、以前から片付けるワタシを何度も見ており、一度話してみたいと思っていたというのである。ワタシも時間はあるので、いいですよと話し始めた。宗教の勧誘なら、商売をしていたので、慣れている。反対に勧誘するくらいのレトリックはもちあわせている。ところが、この人は、『わたしはなにをすればいいのでしょうか。』と会話を始めた。精神障害でもあるようには、見えず、アルツハイマーかもしれない。このまちは元気な老人であふれようとしている。少し話すと、時間をもてあまして、昼はJRで散歩ならず、小旅行をするのが日課であるとのこと。『うらやましい身分ですね。』実際に、ワタシはそんな生活に憧れを持っている。書籍やら、レコードやら、整理していたのだが、なぜか、その人が、整理しなければならない在庫品のように感じてしまった。

 なにか、共通の話題でもと、話を進めると、仕事人間であったらしく、退職後、何不自由なく、時間だけをもてあましているらしい。『趣味はなんですか。』『家族を守ることだったのですが、それも完成しました。』すごい、言い回しで、直感的に、アルツハイマーでもないと思った。これが、今の現実の断面でもあるのだと、関心すら覚えた。よけいなことは、あまり言わないほうなのだが、『ワタシも趣味とはいえないのですが、最近、妙に時間ができ、たまにJazzなんか、CDかけながら、練習しているいるんんですよ。』となにか、友達とでも話しているような錯覚に陥ってしまった。『そうですか、私もなにかしなくては、』それから、すこし世間話をしたのだが、何事もなく、ただ会話をしただけで、『この街で見かけたときは、またお話しましょう。』と言い残し、どこかへ、歩いていってしまった。