中井戸 レイイチ
帳尻あわせみたいな雨もようだった。自宅に帰り、日記?雑記を読み返し、どうにかして、連続性を作り出し、読み返すことで、なにかを認識するか、評価したいという自分の欲求を確認した。いまこの時のことである。
なにを考えているというと、継続性のない雑記は、時を満喫しているとは言いがたく、ようするに効率が悪いという、考え方に納得しているからである。
叙事詩、抒情詩という単語を、久しぶりに連想した。
ジョジョウシ カタニ、キンジョ ヲ ブラリ、トウリ スギル ヒト ノ ウシロ スガター・・・
なんていう、歌詞も浮かんできた。古井戸というコンビの歌の一節である。
なぜか懐かしい、気分になる。今は、大御所のEltonJhonなんかも、ワタシの時間の一部だ。マッドマン アクロース ヒズ ワォータ なんて、規制で今はカラオケでも無いが、名曲であると認識している。エリザベス女王の前で、オーケストラをバックに引き語る、EltonJhonは、カッコ良かったし、今でも、いい時間をワタシに与えてくれる。
TVというのは、大きさのトリックがあり、当時、作詞していたバニートーピンと共に、小男で、美男でもない、むしろ、阻害される、外観のコンビだったと、後で知ったのだが、そのことはむしろワタシを反って、のめりこませてしまった。もう、古い話である。