処世術の再構築

 時間の流れは速いもの。常に動いている環境は、いつでも答えてくれているのに、それに気づかないというのが、実際のところだ。最近そのように都合よく考えるようにしている。動いてくれているから、敷居は高くなったり低くなったりしているのだろう、という理屈なのだが、動いているものは認識が難しい。
 『生きる』と大上段にテーマを掲げた、文科省だが、正論がひとり歩きを始めると、いろいろな障害が出てくるものらしい。社会の仕組みは常に変わっているのだが、疲労した仕組みを変えようとしたときには、疲労の中で現実を組み立てている人々が、変えてもらっては困ると、現実を維持しようとがんばるものだということである。これも現実で障害と感じれば、何らかの手を打たなければならなくなってくる。
 これを、自分の環境にあてはめて気持ちの整理をする。『生活』ということになる。昨年、転職をして、低賃金にあえいでいる自分を見ることができるが、かろうじて生存はできている。なにが障害なのか、よく周りを観察しなければならない。