ささいなこと

 『ささいなこと』このことが、ワタシの分裂しかけた精神状態を救ってくれたのかもしれない。環境の変化を、認識するには、教育あるいは訓練が必要で、認識できたとしても、その認識は、どこまで追及しても、自分の意識からは抜け出せないし、抜け出せたとしても、それは自分ではない。そんな哲学的な思考だが、このレトリックに嵌ってしまうのも、いい刺激かもしれない。記憶を辿れば、常に結果の出ないこの思考を繰り返しているという認識だけが残っている。好んでいたということもできる。
 環境の変化は、認識できないとしても、感覚で実感することになる。寒い暑い、貧しい裕福、気持ち良い不快だ、といった感覚で、結果として予測できる場合でも、それは『ささいなこと』で行動をした結果である場合が、ほとんどで、そんなにすべてが予測しておこした行動でもなく、あくまで『ささいなこと』は『ささいなこと』なのだと、自分で認識できるようになった。このことが、ワタシを分裂から救いつつあるのだと、これまた意識する。