学校 義務 と 教育

 北九州に限らず、『自殺』という文字が、教育現場で取り上げられている。教える側も教えられる側も、触れてはいけないことに興味を示す。

 事実だから、報道しているのだろうけど、取り上げ方に、報道する側の意思が感じられない。報道とはそういうものだと言われれば、それまでの話である。生徒が一人自殺すれば、管理者の資格のある教師も一人は亡くなって当たり前、というような、理屈を報道の裏側に感じる。勝手に捏造するのは困り者だが、なにか配慮が欠けているという思いから離れられない。

 冠婚葬祭の行為を軽視はしないが、そのことを仕事にしている人も多い。マスコミがそのことの良し悪しを決定はできないが、主張はできるはず、気付く範囲に当事者がいない場合、校長や生徒の『自殺』という報道には、変えられない事実とともに、発信する側の『主張』を加えてもらいたい。

 『自殺』というKyeはあまりにも、考えたことのない視聴者には、強烈過ぎるものだ。


 久しぶりの休みに、考えたくはないことなのだが、どうしても、気になってしまう。